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Re: 株価9割下落で上場廃止も、マザーズ改正案 (読売新聞)
http://6a7ny3.sa.yona.la/23 |
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脊髄で
「上場時の公募価格を1円にしとけば」
って思った
Re: 痛いニュース(ノ∀`):【生活保護】 「月に一度のささやかな贅沢、回転寿司も行けなくなった」…母子加算廃止で
http://6a7ny3.sa.yona.la/22 |
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顔写真見ると同情も出来ない。
Re: http://uj7u9x.sa.yona.la/369
http://6a7ny3.sa.yona.la/19 |
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・・・・オークションで高く売れそうですねー。
Re: くぅ
http://6a7ny3.sa.yona.la/17 |
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PS2 には対応してません。
3万なら安いなー。でもPSP 買って Ys7 やりたいなー。
Re: 宇宙海賊キャプテン・レジナルドとその仲間たちによる7つの銀河をまたにかけ た冒険の記録
http://6a7ny3.sa.yona.la/14 |
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>さて、何日間食費を切り詰めればいいかな…
DVD デッキとTVを売り払えば大丈夫じゃないでしょうか。
最近 HDMI 端子をTVに挿せばPC用のモニタはいらないんじゃないかと思い始めています。
若干不便ですが。
Re: 顔認識をもう数歩
Re: どうしてこうなった
http://6a7ny3.sa.yona.la/10 |
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http://gigazine.jp/img/2007/03/12/car_crash/weird544.jpg
これは多分タオパイパイが事故ったんじゃないかと
Re: なぜ「ピリオド」を打ちたがるのか
http://6a7ny3.sa.yona.la/9 |
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>発展的解消
ひといきつく。
わらじをぬぐ。とか?
>俺のバディはまだまだ閉じないぜ
構文違反で(ry
IE ならそれでも開けま(ry
http://6a7ny3.sa.yona.la/8 |
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ディケイドに出てきてくれる事を期待したのに・・・・
Re: うーん?
相当長いです。 |
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>「当人」「それ」が誰/何を指しているのかよくわかりません…
「当人」とは、ここでは犯罪者本人Aです。
例えば罪を犯した事によって会社 B からは解雇、大家 C から退去を命じられたとして、 B あるいは
C のどちらかが度を越しているかというのは実際に社会的制裁を受けた A にしか最終的な判断はできないからです。
さて、度を越えていると A が判断した場合はどうすればよいかというと、A が司法の手にゆだねる、
つまり裁判沙汰にする事によってこれの解決を図ります。A が判断すると書いたじゃないかと
言われるかもしれませんが、判断したからといっても A の主張が全て通るわけではありません。
なぜならこの B と C の例でも分かるように、社会的制裁とは単に義憤による私刑ではなく、B と C のように A による犯罪によって損害を被る可能性(或いは損害を被った現実)から自己の利益を守る為に行われるケースが殆どだからです。
このケースに該当しない場合には、恐らく一般的な社会的制裁として相応しくないと思います。
罰としての視点から見れば度を過ぎていても B、C からすれば不利益を被る必要は無いのですから、
A B C 全員に正当性があると考えられますので、これらの主張の落とし所を得るために裁判所の判断を
仰ぐわけです。
勿論、裁判所まで出向かなくてもこれら 3 者の対話によって解決出来ればそれで構いませんし、
その決着でも(裁判所等の介在の有無を問わず)尊重されるので司法に委ねられたのと同等と考えます。
>その(社会的制裁も加味された)罰をきちんと終えたのなら
短絡的な書き方をすると、刑務所から出てきた=社会的制裁の完了ではありません。
例えばホリエモンは刑期を終えても(本人の意思は置いといて)ライブドア社長には復帰できません。
その上で、社会的制裁を加味された罰を受けたなら一般市民(信用の高低はある)として扱うべきで
あるのは全く同意
・・・ではありますが、そもそも当方は
>「社会的制裁」などという得体の知れない言葉をもって安易に放置したりするのは
に対して「法律で明文化されている罰則」と「社会的制裁」を別のものとして扱われておると判断し、
それは違うんですよと申しておるわけですから、そもそもその判断が誤りであるならこれ以上は特に
お目汚しする事はございますん。
Re: 犯罪者の言い訳
Re: …で、
おー。返信ちゃんと来るんですねココ。 |
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>いつまでも、どこまでも、たとえ法律的に罪を償い終えた後も、
>本人が死ぬまで一生、あるいは死んだあとも、続けるべきなのですか?
いいえ。私はこう書いています。
"罰の一部として「ある程度」は"と。度を越えた社会的制裁が許される筈がありません。よって、
>終わりがないのなら
については論外とします。で、
>終わりがあるのなら、その制裁の量や度合いのさじ加減は、誰がどのように判断するのですか?
当人です。
社会的制裁がそれに見合わないと判断した当人の手によって、その時の司法にゆだねられます。
>…そういうややこしいことを一般市民が深く考えなくて済むように、
>受けるべき刑罰の量や度合いのさじ加減を明文化したのが「法律」や「判例」でしょう?
違います。
まず「法律」はさじ加減を考慮していません。
例えば著作権法とそれに関する罰則が現代の技術に追いついていないなどという話はよく聞きますね。それを補うための程度内に収まる社会的制裁が必要となっているわけです。
「判例」については、後の世の参考になるように判決を下しているわけではありませんし、参考にされたとしても飽くまで参考ですから厳密なさじ加減には程遠いものです。
えーとところで全然関係ないんですが、長文かいてるとテキストエリアがチラチラするのは私だけですか?スゲー書きにくいんですが・・・。